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「アサヒカメラ」9月号・・・1

「アサヒカメラ」今月号(2015年9月号)を頂戴しました。
取材を受けるときの参考までにいただきましたが、
ぱらぱらと眺めてみると、
鉄道がらみの、興味ある記事が2つありました。

今日はその一つを取り上げます。

DSC01880.jpg

これらの写真は、米軍が終戦直後、1945年に撮影した当時の記録です。
所蔵先は、アメリカ国立公文書館です。
1945年というと、8月に終戦になったばかりで、帝都は焦土と化していました。
私は9歳。
撮影したころは、まだ疎開先の小学校に通っていました。
70年前のシーンです。

DSC01878.jpg
DSC01879.jpg

グラフは9ページの特集で、一面焼け野原と化した写真の中に、市電がありました。
1200形です。もちろんポールで、これは後姿。
10月12日の日本橋で、消防活動の姿を再現したものと解説文に記されています。

DSC01877.jpg

これも消防訓練を再現したもので、御茶ノ水です。
これは11月の撮影で、もちろん地下鉄丸の内線はありません。
現存する聖橋からのビューです。

DSC01874.jpg

それからこれは、新橋~神田間の高架ですが、場所はいまいち特定できなかったものの、仮に、万世橋付近となっています。
レンガアーチのスパンが異なるし、10月30日に撮影されたモノクロは複複々線のようなので、万世橋ではなさそうです。
車輌は20m車中心のようで、左からサハ57+モハ30+2扉のクハ47に見えるところを察すると、
横須賀線のガラクタ編成で、場所は新橋~有楽町の直線区間。東の海側からの眺めのようです。
自動車専用道路や新幹線の出来る前で、あのころ、鉄道は運河に接していました。
原画を見れば確たることが言えるのですが、長辺10センチほどの印刷物からは、この程度しか分かりませんでした。

DSC01875.jpg

DSC01876.jpg

「文章による歴史は、勝者によって書かれる」と、この特集でも冒頭に記されていますが、
こうした記録写真は、まとめ役の“読み手”の中立的思想と、(ブレーンを含めた)豊富な知識がものをいいます。
朝日新聞社にはレールファンも多いので、私が記した程度のことは編集部に届いていることと思いますが、
案外重要な鍵は、レールファンの眼差しにあることが多いようです。


     写真はすべて「アサヒカメラ」2015年9月号より
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