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タムロン

150-600mmで撮影した写真を・・・
ということで、大井川鉄道で特写しました。
下からあおって狙いました!
仲間と2日間の撮影行でしたが、これは最終日の最後のショット。
皆さんはこのとき、全編成が撮れる場所に移動。
この鉄橋下は、私だけでした。
気合、入りました!

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シャッタースピードは、250.
動輪周りの微妙な流れがすごくきれいで気にいりました。

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表紙は毎号、アマチュアの方の作品です。
いいですね、こういうフレンドリーな会報って!


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安珠さんが家に・・・

パリコレのトップモデル、安珠さんが当家に来ました。
パリに5年ほどいらっしたので、パリ通、フランス通です。
もちろんフランス語は堪能。

そんなピカピカのモデルさんに、写真を撮ってもらったり、
インタビューをされたりと、とても華やかな気分になりました。

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EOS5Dで撮った安珠さん。透けるような肌が印象的。

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この記事の取材で来てくれました。
右ページは、田園都市線の沿線で撮影。

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中央は新婚旅行のスナップ。佐賀から長崎に向かう、準急キハ28です。

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妻と最初に出会ったのは、晴海のモーターショーでした。そのときの写真があったとは!

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子供は3人。左から7歳、5歳、3歳。近所の神社で753のお祝い。
ローライフレックス28Fで、妻の撮影。私は出張でした。
どこに行っていたんだろう・・・。

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「撮った」と「香りの花束」を講談社から同時出版!
右の記念写真は、結婚50周年に、式をあげた会場で撮ってもらった。
50年前のカメラは、アンソニーだったが、50年後はデジタルカメラでした。

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上の2冊の記念パーティでの家族。帝国ホテルでした。

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左は小名浜臨港で撮影中の私。右は妻と子供たちをモデルにした表紙。多摩川の河川敷です。

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取材の記念写真

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二見開き目ページ。魅力的文書です。さすが!

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アサヒカメラのご担当。

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今月号の表紙です。

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時代物フォルクスワーゲン

この車、現役です。
エンジンは一発でかかります。
時々乗らないといけませんので、久しぶりに(2ヶ月ぶりか)動かしてみました。
おもちゃ箱から、ミニカーを引っ張り出すような気分です。

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雨降りでした(屋根の雨粒)。
ワイパーもOK。問題なく走ります。

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ヤナセ100周年の冊子に登場しています。


写真は入線したばかりの Sony RX10Ⅱで撮りました。

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「アサヒカメラ」9月号・・3

友人のYさんから、木村伊兵衛さんの写真を見たとメールが来ました。
しかも、あの写真のセンター近くに写っている、ホーローの駅名標識が家にあるというのです。

「書体が一世代あとのもの」
とご本人は控えめですが、すごいお宝です。
しかも、持ち主は奥さんだそうですから。2度びっくり!
「妻は鶯谷から芝の学校に通学していて懐かしくて大昔に
ゲットしたお宝です」

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鶯谷から根津にかけては、戦前、文人墨客が多くすんでいたことでも有名な住宅地で、
森鴎外、永井荷風、横山大観、竹久夢二・・・
木村伊兵衛さんも、たしかこのあたりにお住まいだったように思います。

それで、改めて伊兵衛さんの写真を見てみると、
センター付近に写っているホーローの駅名には、
「うぐひすだに」とあります。
撮影は1948年、旧仮名使いなんですね。
蝶々を「てふてふ」と書いていた時代です。

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「アサヒカメラ」2015年9月号より(部分)

「うぐひすだに」が、「うぐいすだに」となったのはいつごろのことでしょう。
太平洋戦争が終わったのが、1945年、
皇国、戦争一色の国民学校が、学校改革(6-3制)で小学校になったのが、1947年ですから、
新仮名使いも、そのあたりから世の中に浸透していったのかもしれません。

仮説ですが、伊兵衛さんは駅表記が「うぐひすだに」から「うぐいすだに」に、
近々変更になることを知って、このスナップを撮ったことも考えられます。
幼いころから慣れ親しんだ駅表記が変わるのです。

掲載の写真を見ると、そうした考えも妥当に思えてきます。
これまで少し疑問もあった、ホーローの駅名板の画面上の位置、中央付近であることが、なんとなく理解できるような気もします。

バルナックライカを手に、電車を待つ間の狙いが、ホーローの看板にあったとすれば、中心狙いのレンジファインダーで、中央に距離を合わせるのはしごく妥当です。駅名板を含む柱は、垂直だから、横位置での距離合わせにはうってつけです。
(M3の発売は1954年)

もしも前後のショットがあれば(たとえば駅名板のアップがあるとか)、狙いは明白になりそうですが、発表はされていません。
現在、伊兵衛さんのネガ、コンタクトプリントは、個人の方が管理されています。

いずれにしても、Yさんの奥さん所有の駅名板から、新たな方向が見えてきたのは、大収穫でした。



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「今、鉄道写真が面白い!」特集

カメラ会社のサークル誌に、鉄道写真特集が掲載されています。
表紙は東京駅のビルから俯瞰撮影したJR東の新幹線で、
赤と緑の連結面のクローズアップが、きれいです。
表紙にはうってつけの写真です。

ところが中の写真はどうしたことでしょう、
私のほかは、お若い方々(といっても40~60代か)なのに、
まるで写真に若さや魅力がありません。
攻めているのは私だけで、
他の方々の写真には、個性のかけらもないのはどうしたことでしょう。

商業誌のグラフページならともかく、新しさや個性がないから、面白味など、どこにもないのです。
作品とは言いがたいものばかりで、名前を外して写真をバラバラにしたら、誰の写真か言い当てることは、まず困難です。

言ってみれば、私が30~40年以上前に行っていた手法から脱却しているものはありません。
ひどいものは、「魅惑の鉄道」(1968年刊)の、大村湾沿いのC60さくらや、C57を下敷きにした写真もありました。
アイディアの踏襲もさることながら、個性的部分を明らかに侵食しています。

いやしくもプロの立場でのこうした行為は、慎むべきでしょう。

私はそのようなことは、アマチュアに対しては言いません。
むしろ歓迎します。
大いに同じような写真を撮ってくださいと声を大きくして述べています。
なぜならアマチュアには憧れがあるからです。

プロにも最初は憧れがあったでしょう。
それは結構なことです。
避けては通れない一つの道かもしれません。

しかし、何年、何十年たってもその状態というのは、いかがなものでしょう。

写真機材は30~40年前とは比べものにならないくらい進歩発展しています。
プロの皆さんの写真も、カメラ進歩のスピードくらい、あるいは、はるかに凌ぐくらいの発展があっていいはずです。

見えてくるものは、明らかに想像力の欠落です。
プロなら、自分を信じ、地上で地下で鉄道を自ら感じ、自分の写真を撮りなさい。

切磋琢磨も怠りなく!

私は今回、怒りと共に、失望を感じました。
プロ集団の鉄道写真展のレベルの低さも耳にします。残念なことです。
せっかくページを裂いてくれた特集なのに、もったいない話です。

アマチュアが一目置くような、アマチュアの指針になるような、プロフェッショナルを目指してください。








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木村伊兵衛さんのこと(「アサヒカメラ」今月号・・2)広田尚敬

「アサヒカメラ」2015年9月号記事で気になる鉄道関係のページが、もう一つありました。
それは木村伊兵衛さんの写真と記事です。

木村伊兵衛さんと、土門拳さんは、戦後のカメラ雑誌で大活躍をされた、超実力派です。
そのお二人の名作を、「アサヒカメラ」は毎号一見開きずつ、当時の作品と、現代人の文章で構成しています。

今月の土門さんは、牛尾さんの文章と、薬師寺の観音菩薩像で組まれています。

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一方、木村伊兵衛さんは、鶯谷駅の写真でした。

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文章は、谷中、根津などの地域雑誌を長いこと出版編集していた女性が担当していました。
鶯谷と、地域的に繋がりがありそうです。

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1948年の撮影です。
カメラは当然ライカです。
レンズは標準50mmでしょうか。

伊兵衛さんは、2面あるホームの、上野有楽町方面行きの海側ホームから、山側の田端方面行きホームを狙っています。
バックの丘と、出口の方向案内で、視覚的に、それと分かります。
背もたれの大きい木製の椅子には、4人の女性が腰を下ろしています。
この女性たちは、コスチュームから、一目で行商の方(当時はかつぎやさんと呼ばれていた)と分かります。
彼女たちは、主に、常磐線、成田線、総武線、京成電鉄を利用し、千葉、茨城から食品を背負って都内を行商して歩きました。
米が払底いていた戦後間もなくは、管理されていた品のため、警察の一斉などで、かつぎやさんたちは悲惨な目にあっていましたが、このころになると緩やかになり、成田線には彼女たちの指定車輌、京成には専用電車があったほどです。
すべて、日帰りの商いです。

このころ、山手、京浜線(現、京浜東北線)は、田町~田端間を、同じ線路上を走っていました。
写真でも分かるように、ホーム間の空間(画面右下)には、バラストもレールもありません。
速度は40キロ。それ以上は出しませんでした。

この伊兵衛さんの写真で、「さすが」と唸るところが2点ありました。

●そのいち
4人の女性で、いち若の女の子が顔をあげた瞬間をキャッチしていること。
それだけでは驚きませんが
写真を見る人の目が、その女性に行くよう、電車の明るい連結面を彼女の頭上に持ってきているのです。

その空間は、まるで、矢印みたいな効果を出していると思いませんか。

シャッターチャンスは、いち若の子の顔方向を見据えて、早すぎず遅すぎず、まさにアンリ カルティエ-ブレッソン同様、決定的瞬間を逃していません。

あとはモハ50とおぼしき、山手線電車のパンタグラフが、いい位置にきているし、
右手車輌のナンバーが、これまた絶妙な位置で捉えられているではありませんか。
この2つは偶然かもしれませんが、偶然を意識的無意識的に呼び込めるか否かが、
名人と凡人の分かれ道なのかも知れません。

余談ですが、電車の扉、ガラス部分が板張りになっています。ガラスがまだまだ高価というより、
混雑で割れないようにという配慮の性格が強かったようです。

●そのに
カメラ、ライカは彼女たちを正面からではなく、左から若干斜めに捉えています。
そこも唸りました。
真正面では、画面に動きがありません。
それに目立ちすぎて、いい表情は捉えられなかったかもしれません。
こちら側の椅子に座っていたら、伊兵衛さんのシルエットは椅子に同化したでしょうが、
立って撮影しています。
立っていることは、画面の垂直方向に目を走らせ、
写された物体の水平面を見れば分かります。
ここでは、椅子の背、天部分が、ほぼ水平に描写されているので、
このあたりにカメラ高があることが、うかがい知れます。

斜めにしたことで何が生じたか。動きが生まれました。
ホームを右上がりの斜めの線で捉えています。
これで電車にも動きが出ました。
でも、一見するとこの動き、右から左へすべるような動きと捉えがちです。
上野行きと思ってしまいそうなところです。
心理的にはそれが一般的感覚かも知れません。

ところが違うのです。
ホームの人たちは、左からの電車が止まるのを待っています。皆さん心持ち、左を向いています。
電車はブレーキをかけているのです。
自然の摂理に反した行為、人為的に止めるという行為を、重力に置き換えて、表現しているわけで、
私にはブレーキ音や、熱までも感じられるようです。

凡人なら画面構成はここで終ります。
でも名人は違うのです。

水平に構成した屋根を見てください。
この黒い屋根、どっしりと画面の天に、まったく平に置いたことで、
ともすると軽薄なラインになり勝ちな斜め感覚を押さえ、
軽やかな中にも重厚とか秩序を取り入れた写真に仕上げているのです。
しかも、重さや息苦しさを感じさせず、さらりと・・・
ごくごく日常的に・・・
伊兵衛さんらしく・・・

私はいま、伊兵衛さんらしくと申しましたが、ここが大事なポイントです。
写真はその人らしく。
言ってみれば自分らしく。
すなわち個性が大事だということです。

個性は作り上げるものではありません。
自然に、体の中から、わき上がってくるものです。

だから私は、伊兵衛さんの写真が好きなのです。
今だ、多くの人に愛されているのです。

いま、プロの鉄道写真家に、個性ある人が何人いますか。




      写真は前回同様、すべて「アサヒカメラ」より

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「アサヒカメラ」9月号・・・1

「アサヒカメラ」今月号(2015年9月号)を頂戴しました。
取材を受けるときの参考までにいただきましたが、
ぱらぱらと眺めてみると、
鉄道がらみの、興味ある記事が2つありました。

今日はその一つを取り上げます。

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これらの写真は、米軍が終戦直後、1945年に撮影した当時の記録です。
所蔵先は、アメリカ国立公文書館です。
1945年というと、8月に終戦になったばかりで、帝都は焦土と化していました。
私は9歳。
撮影したころは、まだ疎開先の小学校に通っていました。
70年前のシーンです。

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グラフは9ページの特集で、一面焼け野原と化した写真の中に、市電がありました。
1200形です。もちろんポールで、これは後姿。
10月12日の日本橋で、消防活動の姿を再現したものと解説文に記されています。

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これも消防訓練を再現したもので、御茶ノ水です。
これは11月の撮影で、もちろん地下鉄丸の内線はありません。
現存する聖橋からのビューです。

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それからこれは、新橋~神田間の高架ですが、場所はいまいち特定できなかったものの、仮に、万世橋付近となっています。
レンガアーチのスパンが異なるし、10月30日に撮影されたモノクロは複複々線のようなので、万世橋ではなさそうです。
車輌は20m車中心のようで、左からサハ57+モハ30+2扉のクハ47に見えるところを察すると、
横須賀線のガラクタ編成で、場所は新橋~有楽町の直線区間。東の海側からの眺めのようです。
自動車専用道路や新幹線の出来る前で、あのころ、鉄道は運河に接していました。
原画を見れば確たることが言えるのですが、長辺10センチほどの印刷物からは、この程度しか分かりませんでした。

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「文章による歴史は、勝者によって書かれる」と、この特集でも冒頭に記されていますが、
こうした記録写真は、まとめ役の“読み手”の中立的思想と、(ブレーンを含めた)豊富な知識がものをいいます。
朝日新聞社にはレールファンも多いので、私が記した程度のことは編集部に届いていることと思いますが、
案外重要な鍵は、レールファンの眼差しにあることが多いようです。


     写真はすべて「アサヒカメラ」2015年9月号より

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プラム

知人からプラムが来ました。
日本初の品種です。

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プラムP1600653
グラスP1600644
昨日アップのグラスに入れて・・・

果実が到着するのは幸せです。


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ダブルウォール

昨日グラスをアップしましたので、
ついでに・・・というか、気にプラスが入っているので、それとなく・・・

妻は飲み口が厚手なので、あまり気に入ってないのですが、
小さいほうはスイス製、
大きいほう(といっても100ccほどしか入りません)は、ドイツ製です。

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グラスP1600633
グラスP1600656
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ラストのイエナガラス、レンズにもありましたね!

日本製ダブルウォールは金属も含め、なぜか小型のものはありません。
180cc以上なのです。
しかも高価・・・






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窓辺

昨日のブログは、ハマナスの実でした。
最後の写真に我が家の窓辺が写っていましたが、
下の方にミニボトルが並んでいたでしょう。
それをアップで捉えてみました。

ご覧ください・・・

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ラストの写真は、マツムシソウのドライ。
すべて妻の、ミニミニ コレクションです。

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