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2006年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年10月

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写真展、無事に終了しました。

広田尚敬・広田泉写真展「二本のレールが語ること」は無事閉幕となりました。
ご来場くださいまして、まことにありがとうございます。謹んでお礼申します。
主催者によると、おかげさまで1~2を争うほどの来場者数だそうです。

このたびの写真展会場は、品川のキヤノンマーケティングジャパン本社1階でした。
広さはおよそ15メートル×10メートル。
左右の比率は面白いことに、36×24の35mmフルサイズと同じです。
この広大な場所で1ヶ月間、初の親子写真展を開催したわけです。

壁面の長さは、泉が32メートル。尚敬が30メートルを使用しました。会場は2分して前半が泉、後半が尚敬のブースです。
しかし、元週刊現代編集長の鈴木富夫さん(オープニングパーティで祝辞をいただいた)によると、どちらが親でどちらが子かは、写真が似ていて区別つきかねたそうです。同様の方もたくさんいらっしゃいました。

プリントサイズはA2からB0が中心になっていたので、他の写真展会場よりも迫力でした。
最大は泉の写真で、2×8メートルと、会場初の大きなプリントでした。

「二本のレールが語ること~」この写真展の総合テーマは “仲良く” です。
親子仲良く、家族仲良く、友達どうし仲良くという小さな幸せの共有が、アジアへ世界へと、広がりを期待してのことです。
会場出口に掲出したあいさつ文は次のようなものでした。


ごあいさつ
ご覧いただき、ありがとうございます。
親子で写真展を開くことができた幸せは、私たち二人だけのものではありません。
ここ数年、日本では家族関係が希薄になってきました。子が親を、親が子をという悲惨な出来事も多発しています。そうした中で、本来家族はこうあるべきだ、親子の関係はこうなのだという穏やかで、ごく当たり前のメッセージを届けることが、この写真展に与えられた使命ではないか。こんなことを考えながら、普段通り連携して作品を制作しました。
小さく、か細い絆ではありますが、いい関係がやがて社会の絆、世界の絆へと広がることを期待しています。

    
会期中、主催のキヤノンの皆様、後援の講談社、ネコ・パブリッシングの皆様には、大変お世話になりました。
また、インフォメーションや記事を掲載してくださった各鉄道趣味誌、各カメラ誌、雑誌「サライ」、JTB「鉄道紀行」、読売新聞社、そのほか周囲の方々にも、心からお礼申します。 
ありがとうございました。




「二本のレールが語ること」作品について。

それぞれの作品テーマは、
広田泉の場合は立体感、空気感、温度感、そしてシャープネス。
尚敬の場合は集中力と、しなやかさです。

尚敬の展示写真の大部分は、後援の「レールマガジン」で特写したもの、同じく後援の講談社「電車大集合1338」で撮影に行った折に撮ったものです。

特写は緊張する仕事です。一瞬のシャッターチャンスを確実に物にする。その連続です。カメラは常にEOSが1台。故障は絶対無いと信頼を寄せてこの1台に集中しました。
「電車大集合」では各地を旅しました。列車待ちの合間に、写真展用の作品つくりをしました。
これまでですと、姿写真の撮影ではそれだけしか狙わない。作品つくりのときは作品しか狙わない。中途半端になるからです。
 
しかし今回は1つの旅で、両方狙いました。
人生長いのです。途中で考え方や行動パターンを変えることも大事ではないかと思っています。
人生も写真撮影も、“しなやかさ”が大切と感じたからです。

掲出写真の白眉は、なんといっても泉が撮影した新幹線です。パンフレットにも印刷された500系のシルエットです。どのように撮影されたのか、尚敬はギャラリートークを聞くまで知りませんでした。

撮影場所は東京駅だそうです。夕方の光線が細くレールを照らしていました。その幅数十センチ。車両がそこを通過しても本来は数十センチ分しか光は当たりません。
そこで通過の500系に光が満遍なく当たるよう、工夫をこらしたというのです。そのための1秒間の流し撮りでした。

肉眼で見えないものを、感性とカメラテクニックで一つの作品に創り出す。こうしたことをこれまで誰が、どの鉄道カメラマンが行ってきたでしょうか。夢を具現化した今回の作品、あまり褒めては本人のために良くありませんが、鉄道写真の歴史に刻まれる作品の一つであることは間違いありません。




「日本の光景に出会えた!」

これは展覧会会期中に耳にした言葉です。
甥っ子の嫁さんは、中国生まれのバレリーナです。昨年国際結婚したものの、ほとんど佐倉近くの住宅地で過ごしていました。それが写真展を見るため品川を訪れると、かつてパンフレットにあった日本を代表する光景に出くわし、タイトルの言葉が思わず口から出たというわけです。
キヤノン付近の近代的なオフィス街は、日本をイメージした海外向けパンフレットにも紹介されているのですね。

実は私もキヤノンで写真展を開くことになって、初めて開発後のSタワー付近を歩きました。「へ~、こんなに変わったのか」が偽らざる心境でした。
私の子供時代、線路の海側はとても辺鄙なところでした。夏は道路脇に丈高い草が生い茂っていたものの、街路樹はなく蝉も鳴いていなかったように思います。




クールビズ

今回写真展を行ったキヤノンSタワーは、夏の間、クールビズが行われていました。皆さんノーネクタイで働きやすそう。首から提げたIDカードがお洒落に見えたのもそのせいかもしれません。

会期中、何回かキヤノンの社長さんが訪れました。最初は展示作業中、それから8月23日のギャラリートークが終わった時点でしょうか、来場者の質問やサインに答えていると、入り口近くでニコニコされている方がいました。

何気なく顔を上げるとなんと村瀬社長さんです。ごく普通のクールビズ姿、白い半そでシャツ姿なのですぐに気づきませんでしたが、私たち親子がいないときも何回か会場に立ち寄って作品を見てくださったそうです。

最終日の8月29日、写真展の成功とお礼を込めて親子二人で、27階の社長室を訪問しました。ほんの2~3分のつもりが、話が弾み、10分以上になってしまいました。終始暖かな雰囲気の村瀬社長でしたが、分かれ際に握手したときの笑顔がとりわけ、すてきでした。






キンダーブックの頃 

広田泉が3歳くらいだったと思います。あのころはフレーベル館の仕事がメインでした。世の中に流布していたのりもの関係の“絵”本を“写真”に置き換えた、「トッパンのカメラえほん」全16冊を出版したり、「キンダーブック」(いずれもフレーベル館発行)の撮影をしていました。それらの関連記事は“広田尚敬の鉄道コラム”に記しますが、最終日に、あのころの「キンダーブック」の編集者たちが来てくれました。驚いたのは当時3歳だった泉が、担当者たちの名前を覚えていたことです。
「たしか、松永さんに…えつこさんという方が…」
「えっ、私です。鈴木悦子です」






最終日に

今回の写真展もたくさんの方が見えてくれました。総入場者数はいずれキヤノンから教えてもらえますが、著名な方々も多数来てくださったようです。

最終日は私ども終日ギャラリーにいましたが、なんと民主党の前原誠司議員がお見えになりました。ひとりで来られ、静かに丹念に作品を見てくださり、頭の下がる思いでした。

その後2階の電車が見える談話室で泉とともにどれくらいおしゃべりしたでしょうか、とにかくSLに関しては造詣が深く、控えめで静かな語り口調の中に、知識と愛情が伺えました。とくに父君と訪れた吉松機関区の話では若き時代の想い出が込められていて感動しました。ご家族思いなのです。

前日鳥取から帰京し、その夜は淡路島に向かうと語っていました。
「えっ、昨日鳥取からですか。私(尚敬)も餘部橋梁の関係で一昨日の午後便で鳥取から帰ってきました。往路は同じ全日空に、石破防衛庁長官が乗っておいででした」
「あぁ、それは私と鳥取のテレビでの対談があったからです。寝台特急“出雲”がよかったとか、“銀河”はよく利用したという話など…」

私はそのとき、テレビ内容は当然政治のことで、列車の話は控え室での雑談ぐらいに最初は思いました。しかしもしかしたら、のりものの話がテーマではなかったかと遅い頭をめぐらしているうちに話は他のほうに移っていました。レールマガジンの名取さんの話では、たしか石破さんも大のレールファンとか。だったらのりもの対談もありえます。

8月は地方出張が多く、東京にはわずか3日しかいられなかったとか。本当にお忙しい中をよく来てくださいました。ありがとうございます。





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